札の辻──江戸を見晴らし、都市を見渡す交差点

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浮世絵の中の札の辻

歌川芳宗の浮世絵「東海道 本芝 札ノ辻」
歌川芳宗の浮世絵「東海道 本芝 札ノ辻」1863年 リボリアンティークス蔵

江戸の終わりに描かれた一枚の浮世絵には、札の辻の風景が克明に描かれています。第14代将軍徳川家茂の上洛にともなう武士たちの列、海へとつながる広々とした街道、沖合に浮かぶ船。右手に連なる屋並みは、今の第一京浜沿い。画面奥には朝日がのぼり、房総もしくは三浦半島の山並みを照らし、空と海が溶け合うようなグラデーションで描かれています。

この浮世絵と、いまリボリアンティークスの窓から見える景色とが、ほぼ重なることに気づいたとき──札の辻という場所が、200年にわたって変わらぬ視線をたたえていたことを実感します。

なぜ「札の辻」と呼ばれたのか

「札の辻」という名称は、江戸幕府が設置した高札場(こうさつば)に由来します。高札とは、法令や禁令、掟書などを木の板に書き記し、辻に掲示したもの。ここ札の辻は、江戸の入口として、芝口御門とともにその機能を担っていました。

札の辻浮世絵から高札拡大図

東海道と三田通りが交わるこの交差点に、当時の人々は権威と法を“読む”というかたちで出会っていたのです。その風景は、浮世絵の一角にも表現されています。

札の辻に刻まれた記憶──殉教と祈り

この地にはもう一つの歴史があります。元和9年(1623年)、禁教令下の江戸において、札の辻はキリシタン弾圧の場となりました。およそ50名におよぶ信者たちがここで火刑に処され、殉教の地として記憶されることになります。

作家・遠藤周作も、この出来事を短編小説『札の辻』の中で描いています。静かな筆致で、人々がなぜ信仰を捨てず死を選んだのかを問いかけるその作品は、札の辻の風景に深い人間的な陰影を与えています。

現在ではその記憶も薄れつつありますが、札の辻周辺には今も小さな石碑が残り、ひそやかに祈りが受け継がれています。

名所であり、処刑場でもあった札の辻──この地が持つ多層的な歴史性は、芸術作品を通してこそ浮かび上がるものかもしれません。

交差点としての風景──浮世絵と現代の視線

江戸時代に描かれた札の辻の浮世絵には、高所から見下ろす構図が使われており、今なお当ギャラリーからの眺望と重なります。

そしてこちらが、現代の札の辻交差点。

リボリアンティークスの建物から撮影した札の辻交差点の昼景。第一京浜と三田通りが交差し、遠方に高層ビルが立ち並ぶ。
現在の札の辻交差点(昼景)。リボリアンティークス上階から第一京浜方面を望む。視点は江戸時代の浮世絵と重なる。撮影:中村大地

空と道が交わり、視線が遠くまで導かれる構図はそのままに、時代のレイヤーだけが更新されていったかのようです。

この“視線の地層”こそが、札の辻という場所が持つ芸術的・地理的な豊かさの証かもしれません。

この構図を別角度から描いた浮世絵も残されています。

札の辻交差点を描いた浮世絵「江戸の花名勝絵 芝札の辻浦」三代豊国と二代広重の合筆
札の辻交差点を描いた浮世絵「江戸の花名勝絵 芝札の辻浦」三代豊国と二代広重の合筆 リボリアンティークス蔵

画面左下に見えるのは、二代歌川広重が描いた札の辻から海を見渡した構図。手前に描かれた高札と広がる屋並み、遠くに帆船が浮かぶ江戸湾。
現在の第一京浜や海岸通りにあたる道筋も、その片鱗をとどめています。この場所は札の辻浦と呼ばれた江戸名勝のひとつで、遠く海を隔てて房総の山並みを望むことができ、1日中眺めていても飽きのこない景色であったため、日暮御門とも呼ばれていました。

このように、浮世絵のなかには札の辻をさまざまな角度から捉えた作品が描かれており、視点の移動を通して都市の記憶が浮かび上がってきます。

芸術としてのまなざし──加賀の千代女と札の辻

歌川国芳の浮世絵「加賀の国千代女」と「朝顔や つるべ取られて もらい水」の句
歌川国芳の浮世絵「加賀の国千代女」と「朝顔や つるべ取られて もらい水」の句 リボリアンティークス蔵

札の辻には、もうひとつの「芸術のまなざし」がありました。 江戸時代中期の俳人・加賀の千代女が詠んだ名句──

朝顔や つるべ取られて もらい水

この句は、札の辻近くの三田・薬王寺の井戸で詠んだものと伝えられています。
朝顔の蔓が絡み、井戸のつるべが使えない──そこで隣家に水をもらいに行くという、ささやかな日常の情景。そのなかに、自然と人との静かな共生がにじんでいます。

先ほど紹介した浮世絵の右下に描かれる女性像は、三代豊国(国貞)による加賀の千代女を演じる上方歌舞伎役者の嵐璃寛で、この句にちなむものと考えられます。

激しい歴史の記憶と、穏やかな詩のまなざし──札の辻は、その両方を包む風景のなかにあります。

都市の光の交差点として

札の辻交差点の夜景。東京タワーを背景に幹線道路が交差する様子。
現在の札の辻交差点(夜景)。ギャラリー正面から東京タワー方向を臨む。撮影:中村大地

時は流れ、かつての札の辻は、いまや光の交差点となりました。東京タワーを背景に、複数の幹線道路と鉄道が行き交い、昼夜を問わず交通が交錯するこの場所では、現代の都市の速度が可視化されます。

しかし不思議なことに、この夜景もまた、あの浮世絵の構図と地続きなのです。時代が変わっても、この辻の中心には、東へ西へと交わる「まなざし」が息づいているように思えます。

芸術が結ぶ風景と記憶

リボリアンティークスのギャラリーが面する札の辻には、歴史と現在、芸術と都市が重なりあっています。

ギャラリーの建物は、19世紀末のパリ、モンマルトルにあったキャバレー「ル・シャノワール(黒猫)」を意識して建築しました。あの丘もまた、殉教者サン・ドニの伝説が語られる、祈りと芸術の重なる地です。

東京・札の辻とパリ・モンマルトル──ともにかつて信仰の火が灯り、いまは芸術を通じて人々を迎える場所。ふたつの風景が時を超えて静かに響きあうのを、私たちはこの場所で感じています。

江戸の職人が描いた風景を、現代の私たちが同じ場所から見渡す──それは偶然ではなく、この場所がずっと「誰かに見られる風景」であり続けた証です。

札の辻をめぐるこの小さな旅が、芸術と土地の結びつきを再発見するひとときとなれば幸いです。

関連リンク

▶ギャラリー札の辻

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