1894年、ロンドン。若干22歳のイラストレーター、オーブリー・ビアズリーは、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』英訳版の挿絵制作を依頼されます。
神秘、倒錯、官能、死。禁断の題材を、黒と白の強烈なコントラスト、装飾的かつ病的な線で描き出したこの一連の作品は、たちまちセンセーションを巻き起こしました。
19世紀末、退廃と耽美の香りただようベル・エポックの夜明けに、一冊の書物が静かに波紋を広げました。
オスカー・ワイルドが書き下ろした戯曲『サロメ』──そして、その世界を鮮烈に視覚化した若きイラストレーター、オーブリー・ビアズリーです。
ビアズリーの描くサロメは、単なる挿絵の枠を超えていました。
優美でありながら不穏、華やかでありながら背徳的。
繊細な黒線によって、欲望と死、美と退廃が一幅の夢のように編み上げられています。
このページでは、1894年に刊行された伝説的な一冊『サロメ』と、そこに収められたビアズリーの挿絵たちを──
一枚一枚、たどりながらご紹介してまいります。
ようこそ、ビアズリーが紡いだ、禁じられた美の世界へ。
19世紀末のイギリスでは、アール・ヌーヴォーの感性が静かに広がりつつありました。
まだ弱冠21歳だったオーブリー・ビアズリーは、その異才を見出され、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』英語版の挿絵を依頼されます。
当時、フランス語で発表されていたワイルドの『サロメ』は、官能性と挑発性をたたえ、英国社会から危険視される存在でした。
しかしビアズリーは恐れることなく筆をとり、わずか数ヶ月のうちに、魔性の姫サロメと退廃の世界を白と黒のコントラストで描き上げました。
線は細く、しかし意志は鋭く──
東洋的な装飾やジャポニスム、ゴシック的な影、ルネサンスの残響など、あらゆる文化の香りを溶かし込みながら、ビアズリー独自の幻想が形をとっていきます。
1894年、挿絵を添えた英語版『サロメ』はロンドンで刊行され、賛否両論の嵐を巻き起こしました。
しかし、その革新性は後に「アール・ヌーヴォー挿絵芸術の頂点」とまで称されることになります。
『サロメ』は、若きビアズリーの名を不朽のものとし、彼自身の短く燃え盛る生涯を象徴する作品となりました。
サロメのあらすじについては別記事で紹介していますのでそちらも合わせてご覧ください。
月の光の中に浮かび上がる、夢幻のような女性像。
この扉絵は『サロメ』の幻想的な世界への入口として置かれました。
長い髪をなびかせ、静かにこちらを見つめる姿は、月の神秘とサロメ自身の宿命を暗示するかのようです。
細くしなやかな線で描かれた輪郭、繊細な装飾、わずかにうつむく表情──
ビアズリー特有の静謐な美が、わずか一枚で幕開けを告げます。
「月」と「女」という象徴的モチーフを通して、これから始まる退廃と情熱の物語へと、静かに読者を誘います。
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『サロメ』の挿絵の中でも、もっとも有名な一枚です。
サロメは、豪奢な孔雀の羽で飾られた裾をまとい、妖艶な姿でヨカナーンに合わせるよう、
若いシリア人の隊長に迫る様が描かれ、ふたりの間には目に見えない緊張感が漂います。
孔雀は虚栄と高慢の象徴。
ビアズリーはその羽を幾何学的なリズムで表現し、東洋美術──とりわけジャポニスム(日本趣味)に通じる装飾性を高めました。
鋭く引かれた細い線と、リズムを刻む曲線の美しさ──そこに、退廃と官能の香りがほのかに漂います。
『孔雀の裾』は、ビアズリー芸術の代名詞ともいえる存在であり、彼が線描によって到達した美の極致を示しています。
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黒々と広がるマントに身を包み、サロメが静かに立つ場面──のように見えるこの作品ですが、
実はビアズリー自身、書簡の中で「この絵はサロメとは関係ない」と述べています。
それでも、この作品は『孔雀の裾』との対比を思わせる構図を持っており、
もし『孔雀の裾』に描かれている女性をサロメの母・ヘロディアスと解釈すれば、
「黒いマント」はその対となる存在、もうひとつの象徴像と見ることもできます。
巨大な黒のマントに包まれた女性像は、静かな緊張感と隠された権力の暗示をたたえています。
細部には繊細なレース模様や花の意匠が施され、重厚な黒の中にも華やかなビアズリーらしいアール・ヌーヴォーが息づいています。
ビアズリーが生み出した、謎めいた余白。
研究を重ねるほどに、新たな解釈の可能性が広がる興味深い一作です。
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この挿絵は、オープニングを飾った「月の中の女(The Woman in the Moon)」の続編ともいえる位置づけにあります。
画面には、若い小姓が、亡くなった兵士の遺体にすがり、深い悲しみをあらわにする姿が描かれています。
「月の中の女」に登場した二人が、ここでは別れと喪失の場面へと引き継がれているのです。
また、右上の月の中には、
『サロメ』の作者であるオスカー・ワイルドの顔が、半分だけ浮かび上がっています。
この隠し絵は、作品全体を覆う哀しみと、ワイルド自身の影をほのかに示唆しているとも考えられます。
“Platonic”(プラトニック)という言葉が示すように、
ここで描かれるのは肉体の愛ではなく、
理想、純粋さ、そして失われた精神的な絆への嘆きです。
過剰な装飾を排した静謐な構成の中に、
ビアズリーは退廃と喪失、そしてかすかな憐憫を封じ込めました。
堂々たる気配をまとい、ヘロディアスが登場する場面です。
サロメの母であり、物語における策略と権力の象徴でもあるヘロディアスは、
豪奢な衣装に身を包み、強い意志を秘めた表情で描かれています。
ビアズリーは、この女性像に豊かな装飾と重厚なフォルムを与えつつ、どこか冷ややかな孤高さを漂わせました。
ドレスに施された緻密な模様や、構図に満ちる静かな圧力──
一切の無駄を排しながら、権力者の孤独と傲慢を見事に表現しています。
絵全体に広がる沈黙と緊張感は、これから起こる悲劇を静かに予感させます。
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憂いを帯びたまなざしをこちらに向ける、年老いたヘロデ王の肖像です。
ビアズリーは、サロメに心を奪われた男の哀れな姿を、ほとんど戯画のようなデフォルメを交えながら描きました。
額には深い皺が刻まれ、虚ろな目には焦点がありません。
王冠や衣服には緻密な装飾が施されていますが、それらの豪奢さとは裏腹に、
この人物からはもはや威厳のかけらも感じられません。
画面左には、一人の女性が描かれています。
この女性が誰であるかについては、二つの解釈が存在します。
ひとつは、好色な視線を向けるヘロデ王を嫌悪するサロメとする説。
もうひとつは、娘に邪まな視線を向けるヘロデ王を睨みつけるヘロディアとする説です。
つまり、この小さな絵の中に、
欲望、拒絶、怒り、母娘それぞれの感情──多層的な物語が秘められているのです。
老い、欲望、滑稽さ──
ビアズリーは鋭い線と省略されたフォルムで、権力の腐敗と人間の弱さを容赦なく暴き出しました。
小品ながら、『サロメ』の退廃と悲劇を象徴する、興味深い一枚となっています。
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七つのヴェールを脱ぎ捨てながら踊るサロメ──
ビアズリーはこの有名な場面を、官能的でありながらどこか奇妙な緊張感を湛えた一枚に仕上げました。
画面中央には、豊かに波打つヴェールをまとったサロメが描かれています。
しかしその表情には笑みも歓びもなく、むしろ無表情で冷たい気配が漂っています。
柔らかな布地の流れと、硬質な装飾線のコントラストが、見る者に不穏な印象を与えます。
周囲には観客たちの顔が描かれていますが、その多くは歪んだ表情を浮かべ、
この踊りが単なる祝祭ではなく、背徳と破滅の兆しであることを暗示しています。
サロメの踊りは、欲望の成就ではなく、破滅への招待状。
ビアズリーはこの場面を、単なる官能の賛美ではなく、退廃の極みとして鋭く描き出しました。
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舞踏を披露する直前、サロメが化粧を施される場面です。
身じろぎもせず、鏡の向こうの自らを見つめるサロメ──
その静けさの中に、これから引き起こす運命への冷ややかな覚悟が漂います。
ビアズリーは、優美な線と緻密な装飾を用いて、サロメの周囲を贅沢な調度品や布地で埋め尽くしました。
侍女たちは丁寧に彼女の身支度を整えますが、サロメ自身はまるで人形のように無表情です。
美しく着飾ることは、彼女にとってもはや虚飾の儀式にすぎないかのよう。
この挿絵には、外面的な華やかさと内面的な空虚──
相反する二つの世界が、見事に同居しています。
静かでありながら、不穏な余韻を残す一枚です。
サロメが、踊りの報酬として受け取ったもの──それは、ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)の生首でした。
この挿絵は、その衝撃的な瞬間を静かに、しかし容赦なく描き出しています。
サロメは無表情のまま、両手で銀の皿に載った首を支えています。
その姿には、悲しみも恐怖も見えません。
むしろ、淡々とした冷酷さと、運命を当然のものと受け入れる諦念が漂います。
ビアズリーは、衣装や背景に繊細な装飾を施しながらも、
中心に置かれた「首」というイメージを決してぼかすことなく、圧倒的な存在感で浮かび上がらせました。
美と死、欲望と絶望。
この一枚には、『サロメ』という物語の本質が凝縮されています。
『サロメ』の挿絵群の中でも、最も劇的で衝撃的な場面を描いたひときわ象徴的な一枚です。
踊り終えたサロメは、両手でヨカナーンの生首を持ち上げ、静かに口づけを交わしています。
長い髪を垂らしたサロメの表情は、恍惚とも絶望ともとれる曖昧なもの。
ビアズリーは、彼女の白い肌と、ヨカナーンの黒々とした死のイメージを強烈なコントラストで描き出しました。
豊かにうねる衣装の線、精緻な装飾模様、そして二人を包む空気の重さ──
すべてが、この瞬間が取り返しのつかないものであることを告げています。
ここでは美と死、愛と破壊、聖と穢れが、ひとつに結びついています。
サロメという存在そのものが、静かに、そして不可避に完結する瞬間。
ビアズリー芸術の頂点と称される、まさに「クライマックス」といえる作品です。
本の最後を飾る、小さな装飾図。
『サロメ』の戯曲は、ヘロデ王が、
サロメの殺害を命じ、兵士がその命令を実行する場面で幕を閉じます。
しかしビアズリーは、その物語の終わりをさらに越えて、
死後、バラの花に飾られた棺に横たわるサロメの姿を描きました。
バラの花に飾られた棺に、裸のサロメの遺体が静かに横たわり、
左側には黒衣をまとったピエロ風の人物、右側には角を持つファウヌス(牧神)風の存在が、棺を運んでいます。
サロメの髪は精緻にカールされ、衣装のない白い身体が死の静寂を際立たせます。
死後のサロメを異形の従者たちが運ぶこの光景は、
物語の結末に漂う背徳と救いのなさを、冷ややかに象徴しています。
ビアズリーは、救済の光すら描かず、
サロメの悲劇を、不条理な美と哀しみとして閉じたのでした。
この挿絵は、ビアズリーが1894年の『サロメ』英語版のために制作したものの、
当時の出版事情により収録されず、
1907年版の再販時にはじめて正式に収録された一枚です。
サロメは長椅子に座り、侍女たちによって慎重に身支度を整えられています。
背景には布やカーテンが垂れ下がり、静謐な空間を形作っています。
ビアズリーは、流れるような線と繊細な装飾で、
この静かな儀式の空虚さと、
サロメの冷ややかな孤独を印象深く描き出しました。
華やかさの奥に潜む、虚無と悲哀。
この作品は、サロメの物語にさらに深い陰影を与えています。
この挿絵も、ビアズリーが1894年に『サロメ』英語版のために制作していたものの、
当時は収録されず、1907年版で初めて公式に発表された一枚です。
サロメは、ヘロデ王に幽閉されているヨカナーンに会いにいこうとします。
胸をあらわにし、近づきながら、
その顔をじっと見つめています。
ビアズリーはここで、これから始まる
死と愛、欲望と絶望を、淡々と描きました。
繊細な衣装の流れや髪の曲線──
しかし、二人は交わることのない、
生と死、罪と純粋さが溶け合うこの瞬間。
ビアズリーはサロメの物語に、より深く静謐な余韻を加えています。
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この挿絵もまた、ビアズリーが1894年に制作していながら、
当時の出版事情によって未収録となり、
1907年版の再販時に初めて収録された一枚です。
サロメは、優雅な長椅子(セットル)にゆったりと腰掛けています。
身体の力を抜いたその姿には、踊り終えた後の疲労とも、
望みを果たした後の虚脱ともとれる静けさが漂っています。
流れるような衣装の線、繊細に編み込まれた髪、
そしてややうつむいた顔──
ビアズリーは、サロメの内面に潜む倦怠と哀しみを、
わずかな仕草の中に巧みに表現しました。
静謐でありながら、どこか危うい美しさ。
この一枚は、サロメという存在の孤独な余韻を深く印象づけます。
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この作品は、1893年にイギリスの雑誌『ストゥディオ(The Studio)』に掲載されたものです。
オーブリー・ビアズリーが、フランスで発売されたオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』のクライマックス、
銀の盆に載ったヨカナーンの首に口づけするサロメの姿を描いています。
サロメの周囲には、フランス語のセリフが記されています。
「J’AI BAISE TA BOUCHE(おまえの口に口づけしたよ)」
「IOKANAAN(ヨカナーン)」
「J’AI BAISE TA BOUCHE(おまえの口に口づけしたよ)」
この繰り返しが、場面の悲痛な美しさと執着を強く印象づけます。
しかし、この挿絵は『ストゥディオ』誌が権利を所有していたため、
翌年ビアズリーが『サロメ』英語版の公式挿絵を手がけた際には、
新たに『クライマックス(The Climax)』を描き起こすこととなりました。
本作は、初期ビアズリーならではの装飾性豊かな線と、
悲劇的な情熱がひとつに溶け合った、幻の「最初のクライマックス」といえる存在です。
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オーブリー・ビアズリーが描いた『サロメ』の挿絵群は、
19世紀末という時代の感性を超え、今なお鮮烈な輝きを放ち続けています。
そこに描かれたサロメは、
ただの悪女でも、ただの悲劇のヒロインでもありません。
美と死、欲望と孤独、聖性と背徳──
あらゆる矛盾をその身に宿し、
一瞬の舞踏とともに、永遠に時を越えていく存在です。
細く鋭い線、豊かな装飾性、抑制された白と黒のコントラスト。
ビアズリーは、わずか数年の短い生涯の中で、
この一冊に自らの美意識と宿命を封じ込めました。
1894年版に収録された図版、
1907年版で加えられた幻の作品たち、
そしてストゥディオにだけ現れた「最初のサロメ」──
一枚一枚に込められた想いは、
単なる挿絵の枠を超え、
ひとつの文学、ひとつの芸術世界を築き上げています。
ビアズリーの『サロメ』を辿ることは、
禁じられた美の迷宮を、静かに、しかし確かに歩む旅でもあります。
いま、再び。
銀の月が昇り、サロメは影となって舞い続けるのです──
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