ジュール・シェレがデザインした “見る懐中時計”

1901年に制作されたこの金製の懐中時計は、フランスのポスター芸術の巨匠ジュール・シェレによってケースがデザインされた、極めて稀少な応用美術作品です。
裏蓋には、シェレが得意とした女性像「シャレット(Chérette)」が浮き彫りで表現されており、装飾芸術としての完成度の高さと同時に、ポスター芸術とジュエリーアートが融合した異色の存在感を放ちます。
オメガ社製懐中時計と1901年の刻印

懐中時計の内部には、以下のスペイン語による銘が刻まれています:
Ministerio de Agricultura
CONCURSO DE JUNIO
1901
Manuel A. de Uribelarrea
これは、1901年にスペイン語圏(おそらく南米)の農業省が主催したコンクールに関連して贈られた賞品である可能性を示しています。
本作はスイスの老舗時計メーカー「オメガ(OMEGA)」による機構を備えており、実用品としての高い技術精度と、装飾美術としての芸術的完成度が見事に融合しています。19世紀末においてオメガは既に国際的評価を確立しており、本作のような特注モデルは限られた贈答用に製作されたと考えられます。
つまりこの時計は、オメガ社製の精密な機械式時計であると同時に、ジュール・シェレによる美術的意匠が施された記念品であり、当時の文化交流や応用芸術の在り方を今に伝える貴重な資料です。
シャレット像の魅力と《カンキナ・デュボネ》との比較

裏蓋に刻まれた女性像は、ジュール・シェレが19世紀末から20世紀初頭にかけてポスター作品に繰り返し登場させた理想化された女性像、すなわち「シャレット(Chérette)」の典型的な表現形式です。
ふんわりと広がり帽子をかぶっているようにも感じさせる髪、肩の露出したドレス、柔らかな表情といった要素は、シェレの代表作の一つ《カンキナ・デュボネ》(1895年)にも共通して見られるものであり、直接的な図像の引用ではないものの、造形的な語彙の多くを共有している点で興味深い類似性を示しています。
この懐中時計の女性像は、ポスターの画面からレリーフという立体表現へと変換された、シャレット像のもう一つの姿と言えるでしょう。
応用美術におけるシェレの先駆性
ジュール・シェレは、石版印刷によるポスター芸術の普及に貢献しただけでなく、日常生活の中に芸術を取り込むという理念のもと、装飾パネルや応用美術の領域にもその意匠を展開しました。
この時計は、そうした取り組みの延長線上に位置づけられるものであり、アール・ヌーヴォーの精神が「街角の壁」から「手のひらの中」へと移行したことを象徴する小宇宙でもあります。

所蔵の意義と資料協力のご案内
本作は現在、販売用ではなく資料として所蔵しています、展覧会や出版物への図版提供、文化事業への協力に対応可能です。
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