前回の記事でモンマルトルの中心テルトル広場につきました!
そして、テルトル広場はお土産屋さんや、そして何といっても似顔絵かきです。

こんな感じでみなさん書いてもらっています。
時間にもよりますが、この辺はカフェもたくさんあるので、昼食か一休み。アメリで有名なカフェはムーランルージュの近くなので、また今度。
しかし、少し足をのばせばルノワールの絵でも有名なムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットが近くにあります。少しより道になりますが時間のある方や健脚の方にはお勧めです。
レストラン、ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットについてはモンマルトルのおすすめレストラン「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」に書いてあります。
では、そろそろル・シャノワールの開店の地に向かいます。
どんどん坂を南に降りていき、Rochechouart通りを目指します。
Rochechouart通りについたら左に曲がり、てくてく進むと、

Zoumという靴屋がでてきたら止まります。もしくは84の番地
ここがルドルフ・サリが作った、パリ最初のキャバレーともいわれる、ル・シャンワール跡地です。
扉の左には、

シャノワールの説明が! これはHistoire de Paris というパリの史跡案内板です。
サリはここにシャノワールを1881年にオープンしますが、いろいろと町の顔役などに疎まれ、1885年に移転をします。
それでは移転した先に向かってみましょう!
でも、その前にせっかくの通り道なので、ディボン・ジャポネの跡にも寄ってみたいと思います。
さあ、Rochechouart通りを西に5分ぐらい向かって歩いていると、Rue de Martyrsという通りが右手に出てきます。
すると

DIVANと書かれた建物が見えるはずです!これが、ディボン・ジャポネの跡地になります。
ここは現在でも DIVANという言葉は残っていて、DIVAN DU MONDEというコンサートやクラブになっています。
フランス語で、DIVANは東洋風な長椅子 ジャポネはもちろん日本。ちなみに現在のMONDEは世界という意味ですから、日本の長椅子から、世界の長椅子になったわけです。
参考までにこれがロートレックの絵です。残念ながら、現地に特に説明などはありませんでした。

さてさて、こんどは、この道をまっすぐ南下し、坂を下っていく感じです。
5分も歩くと、右手に Ru Victor Masse(ビクトル・マッセ通り)が出てきます。

この道に入り、少し進むと

12番地にルドルフ・サリの名が下にはキャバレー・シャ・ノワールとも書いてあります。

ここが、ル・シャノワール移転の地で、当時三階建てのキャバレーが1896年までありました。
では、いよいよゴールであるムーラン・ルージュに向かっていきます。
Ru Victor Masseをひたすら東に15分ぐらいあるくと

赤い風車が!!
映画でも有名なムーラン・ルージュ外観がとにかく有名ですが、実は中がとにかくすごいんです!!
ムーラン・ルージュとはムーランが「風車」、ルージュが「赤」を意味しています。建物にそのまんま赤い風車が乗っています。
この赤い風車をデザインしたのはアドルフ・ウィレット、シャノワールの看板やこの旅のスタートサクレクール寺院の前の広場の名前になった人です。
アドルフ・ウィレットについて知りたい方はこちらのブログを
アドルフ・レオン・ウィレット Adolphe Léon Willette 1857~1926
現在行われているジョーはフェリー(妖精)と呼ばれるレヴュー
1999年12月から上映されている人気の演目です。

ここが入口。
中にはショーを見る人しか入れませんが、ショーを見る機会があればぜひ中もご覧ください。
ちょっと中をご紹介

中に入ると-左手に~

ロートレックの絵が飾られ、ベルエポックのパリに浸れます。
左にかかっているのは、シェレ作のムーランルージュ
このポスターはムーランルージュがオープンしたときのポスターで、

ロートレックがシェレのポスターをみている写真が残っています。
一応、今回でパリでロートレックを見る!は、最終回です。このブログに書こうと思い、いろいろと、写真をとったり、ムーランルージュを観たりしてきましたが、
まさか、ムーランルージュの舞台に上がることになるとは思ってもいませんでした。。
ふー、緊張しましたが、けっこう感動しました。
また番外編で、お土産屋らほかのスポットも書いていきたいとお待っていますが、
話変わって、ニューヨークのMOMA美術館でロートレック展をやっています。パリの友人たちにもぜひ見てきた方がいいといわれてます、が、パリからニューヨークは近いかもしれないが、東京からは遠い!!
でも機会を見つけてぜひ行ってみたいと思います!!・・・来年の3月で終了しちゃうのでそれまでに。