≪サロメ≫ アルフォンス・ミュシャ 1897年

──七つのヴェールに包まれた夢幻の舞台
1897年、アルフォンス・ミュシャは、装飾美と神秘性を湛えた一枚の版画≪サロメ≫を世に送り出しました。
それは、同年に創刊された美術版画集≪レスタンプ・モデルヌ≫第2号に収録された4作品のうちのひとつ。幻想と装飾、文学と信仰が交錯する時代に生まれたこの作品は、当時のアール・ヌーヴォー文化の結晶でもありました。
レスタンプ・モデルヌとミュシャのかかわり
≪サロメ≫が掲載された≪レスタンプ・モデルヌ≫は、パリのシャンプノワ社が1897年から99年にかけて発行した定期版画集。
毎月4名の画家によるリトグラフ作品を、美麗なポートフォリオに収め、2000部限定で販売するという試みは、芸術をより多くの人々の手に届けるための先進的な企画でした。
ミュシャはこのシリーズで、表紙をはじめ何点かの作品を提供しています。なかでも≪サロメ≫は、文学と舞台芸術に強く根差したテーマ性からも異彩を放ち、装飾性と劇性が融合した秀逸な一作となりました。
この新作版画集「レスタンプ・モデルヌ(現代版画)」には、アルフォンス・ミュシャやジョルジュ・ド・フール、ウジャーヌ・グラッセなどアール・ヌーヴォーを代表する装飾芸術の画家を始め、テオフィル・スタンランやアドルフ・ウィレットなどの風刺画を得意とした画家のなど当時を代表する画家の作品が収録され、各号の表紙はアルフォンス・ミュシャが描いています。


オスカー・ワイルドと“サロメ”の物語
ミュシャの≪サロメ≫が題材とするのは、アイルランド出身の作家オスカー・ワイルドによる戯曲『サロメ』(1893年出版)。
旧約・新約聖書の逸話をもとに、絶世の美女サロメと預言者ヨハネとの歪んだ愛と死を描いたこの物語は、当時の退廃的な耽美主義と深く共鳴しました。
物語の舞台はエルサレム。
王ヘロデの宮廷において、サロメは母ヘロディアの連れ子として暮らしています。預言者ヨハネに魅せられながらも拒絶され、彼女はやがて王の前で「七つのヴェールの舞」を披露し、その褒美としてヨハネの首を求める──
この衝撃的な展開は、愛と狂気が紙一重であることを象徴する名場面となり、後世の芸術家たちにインスピレーションを与えました。

ミュシャの≪サロメ≫──装飾と儀式の交差点
ミュシャが描いた≪サロメ≫には、ワイルドの戯曲に忠実でありながらも、彼自身の審美的解釈が強く反映されています。
特に注目すべきは、ビザンティン風の装束と構図。これは、ミュシャが舞台女優サラ・ベルナールのポスター≪ジスモンダ≫などでも見せた得意の様式であり、当時の東洋趣味的な表現とは一線を画しています。
金色のモザイクを思わせる背景、厳かな衣裳、正面性の強いポーズ──
それはまるで、演劇と宗教儀式の中間にあるかのような荘厳さを帯びています。
ビザンティン様式を取り入れることで、ミュシャは≪サロメ≫を単なる官能の象徴としてではなく、「神聖な狂気」として昇華させたのです。
ロイ・フラーと七つのヴェール──踊りの起源をめぐって
「七つのヴェールの舞」はワイルドが創作した名称であり、実在の舞踊ではありません。
しかし、この幻想的な踊りの着想には、当時パリのフォリー・ベルジェールで活躍していた舞踏家ロイ・フラーの影響があるとされます。
彼女の舞は、長いヴェールに光を当てて幻想的な形をつくるもので、その姿はジュール・シェレなどのポスターにも描かれています。
このように≪サロメ≫という物語には、文学、宗教、舞台芸術、視覚芸術が重なり合い、まるで重層的な夢のように構築されているのです。

ジュール・シェレの描いたロイ・フラー、長いヴェールに光を当てる、この幻想的な踊りは当時人気を博しました。
美と死のあわいに立つ女
ミュシャの≪サロメ≫は、血と欲望の物語でありながら、その描線には凛とした静謐さが宿ります。
妖しさの中に漂う威厳、装飾性に秘められた悲哀──。
それは決して一方向の「美」ではなく、多層的な象徴として鑑賞者に迫ってきます。
≪サロメ≫は、神に愛される預言者と、人間の欲望の象徴である女性を交差させる、危うくも崇高なテーマを含んだ作品です。
ミュシャが描いたのは、単なる“舞姫”ではありません。
それは、「見る者の心に宿る神秘」そのものなのかもしれません。
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