
モンマルトルの偉大なシャンソン歌手
アリスティド・ブリュアンは19世紀末のフランス・パリで活躍したシャンソン歌手で、パリに住む貧しい人々の生活などを歌う、巷の歌手として大変人気を博しました、そのため、シャンソン・リアリスト(現実派)もしくはシャンソン・ナチュラリスト(自然派)の創始者ともみなされています。もともとは一介の歌手でしかなかったブリュアンですが、1882年にモンマルトルに開店したキャバレー「ル・シャノワール」に出演し、ここで左の絵のような赤いマフラーに黒いマントと帽子という服装にパリの街や人々をテーマにした歌を歌い一躍有名になります。1884年にはそのキャバレー「ル・シャノワール」のためのバラードを作詞・作曲するなどシャ・ノワールの中心メンバーでしたが、オーナーのロドルフ・サリとは反りが合わず、1885年のシャ・ノワールの移転に伴い、その跡地を「ル・ミルリトン」という自身の経営する店として独立します。ミルリトンのオーナとなったブリュアンは、シャノワールと同じく機関紙「ル・ミルリトン」を発行し自身の歌を発表していきます、この新聞にはスタンランやロートレックなどもイラストを寄稿し、後に「巷にて」として自身の歌集を4巻発売します。92年にはアンバサドールやエルドラドなどのカフェ・コンセールにも出演しこの時のポスターをロートレックが手掛けています。このブリュアンの格好とロートレックのポスターは、ブリュアンのイメージをパリの人々に決定づけ、ますます人気を不動のものにしていきました。そのことは、1906年に発売された「モンマルトルのシャンソン歌手たち」でも第一号がブリュアンの特集であることからもうかがえます。
アリスティッド・ブリュアンの代表曲
シャ・ノワールのバラード La Ballade du Chat Noir | キャバレー「ル・シャ・ノワール」のためのバラード |
ニニの唄(娼婦ニニ) Nini peau d’chien | 娼婦ニニを題材にした歌で、「バスティーユにて」の続編 |
バスティーユにて A La Bastille | バスティーユの人々ニニを歌った歌 |
白いバラ(サン・ヴァンサン通り) Rose Blanche | 一番有名な曲、色々な人にカバーされている |
巷にて Dans la Rue | 自身の歌集の題名にもした曲 |
ヴィレットにて A la Villette | シャ・ノワールのデビュー曲といわれている |
サン・ラザールにて A Saint-Lazare | 「巷にて」に収録 |
ベルヴィル・メニルモンタン Belleville-Menilmontant | 「巷にて」に収録 |
モンマルトル A Montmerte | モンメルトはモンマルトルの俗語 |
アリスティッド・ブリュアンに関係する作品



アリスティッド・ブリュアン
アリスティッド・ブリュアンの略歴
1851年 | フランスのクルトゥネに生まれる |
1868年 | ブリュアンの一家がパリへ移住 |
1873年 | この頃よりベルヴィル・メニルモンタンにてシャンソン歌手としての活動を行う |
1884年 | シャ・ノワールに参加し「シャノワールのバラード」を製作 |
1885年 | 自身の店「ル・ミルリトン」をオープン |
1889年 | 歌集「巷にて」を発行 |
1892年 | アンバサドールやエルドラドにも出演しロートレックがポスターを手掛ける |
1898年 | 議会選挙に立候補するが落選 |
1913年 | ラパン・アジルを買取り維持につとめる |
1924年 | アンピールの舞台が最後の舞台となる |
1825年 | パリにて74歳の生涯を終える |