ジャヌ・アヴリル(Jane Avril)の絵や写真

ジャヌ・アヴリルとは、ムーラン・ルージュでも活躍したダンサーで、ロートレックがよく描いた女性としても有名ですが、2001年の映画「ムーラン・ルージュ」でニコール・キッドマンが演じたサティーンのモデルともいわれています。

ジャヌ・アヴリル(Jane Avril)
1868年ー1943年 75歳

1868年6月9日、パリの下町ベルヴィルでドゥミ・モンデーヌ(高級娼婦)の母親とイタリア貴族の間に生まれたジャヌ・アヴリル(本名ジャンヌ・ルイーズ・ボードン)は、両親の離婚にともない里親や祖父母に預けられますが、彼らが亡くなると母親のもとに戻され、虐待をうけるなど貧困な少女時代を過ごしたことで精神を病みパリのサルペトリエール病院に入院します。そこでジャン=マルタン・シャルコー医師の治療や病院での舞踏会などでダンスの才能を発揮し退院後はムーラン・ルージュのダンサーとなます。ちなみにジャン=マルタン・シャルコー医師は2012年のフランス映画「博士と私の危険な関係」のモデル。

しかしこの治療は不十分であったためかジャヌ・アヴリルは時に癇癪を起し異常な行動をとることや激しいダンスを踊ることから「気狂いジャヌ」と呼ばれるなど周囲ともうまくいかず、自身も独立して一人で踊るのをこのみ、他のダンスホールやカフェ・コンセールに出演します。
映画「ムーラン・ルージュ」では悲哀となりますが、史実では1911年に画家のモーリス・ビルスと結婚しますがうまくいかず75歳で亡くなりパリのペールラシューズ墓地に埋葬されました。


ジャヌ・アヴリルの絵や写真

1893年のロートレックが描いたジャヌ・アヴリルを代表する作品

絵と同じポーズをとるジャンヌ・アヴリルの写真

1899年のロートレックが描いたポスター

同じポーズをとるジャンヌ・アヴリルの写真




日本でも大人気な、ロートレックが描くディヴァン・ジャポネ 手前に座っている女性がジャンヌ・アヴリルです。

 1893年  レスタンプ・オリジナルの表紙 

 1896年 エグランティーヌ一座  一番奥がジャンヌ・アヴリル


実際のエグランティーヌ一座 左端がジャンヌ・アヴリル

以上は有名な絵で、次の絵を知ってたら、かなりのロートレックマニアです。

1893年 ロートレックとイベルスの連作「カフェ・コンセール」の1枚

あと、ロートレックは油絵も描いていますが、それはまた別の機会に。

ではでは、また~次の記事までお待ちください!

おまけの1枚

ジャンヌ・アヴリルの夫 モーリス・ビルスの描いた絵です。

>美術画廊「リボリアンティークス」

美術画廊「リボリアンティークス」

19世紀の絵画・版画・リトグラフなどアール・ヌーヴォーやアールデコの作品を多数扱っております、JR田町・都営三田駅徒歩4分、札ノ辻交差点角

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