ミュシャ絵はがき「ジョブ」

アール・ヌーヴォーの絵はがき(ポストカード)

絵はがきの成り立ち

アルフォンス・ミュシャ「ジョブ絵はがき」1905年
「タバコ巻紙ジョブ」 アルフォンス・ミュシャ 絵はがき 1905年

ヨーロッパの有名な画家の絵や写真などが印刷されたアンティークのポストカード、世界的にもコレクターが多く、1900年頃のアール・ヌーヴォーのアンティークポストカードは希少性も高く高値で取引されています。

アンティークポストカードのなかでも、ここではアール・ヌーヴォーのイラストが描かれた絵入りのポストカード「絵はがき」について説明いたします。はがきの歴史は、1869年にオーストリアで作られた官製はがきが最初だと言われています。この官製はがきには絵などはなく、表には宛先、裏には文章ととてもシンプルなものでした。オーストリアで始まった官製はがきは、ヨーロッパ中に広まり、1878年の国際会議で、はがきの寸法が最大9×14cmと定められます。そのためアンティークポストカードは9×14㎝のサイズが多く、現在の日本の一般的なはがきサイズ10×14.8㎝とは異なります。

そして1871年にはベルギーで最初の絵はがきが誕生します。(1871年のウィーンで発行された絵はがきが最初との説もあります)はがきの作成が1870年代にはいると民間企業にも許可され、その後印刷技術の向上などによってカラー印刷などが登場し、1898年頃から1918年(第一次世界大戦)までが絵はがきの黄金時代と呼ばれています。この時期はちょうど、フランスの「ベル・エポック」と呼ばれる時代で、アール・ヌーヴォーが最盛期を迎えていました。

パリでは1890年頃よりポスター芸術が人気になり、ポスタ―のコレクターが現れ始めます。それまでのポスターは広告・配布物であり一般大衆が購入するということはありませんでした。
それが1895年に近代ポスターの父と言われるジュール・シェレが「ポスターの巨匠たち」というポスターコレクションを出したことにより、一般大衆が絵を収集できるようになり、さらにミュシャやシャンプノワ社は広告物では無いポスター「装飾パネル」を販売しポスターは大衆のための文化として大流行します。

チノ社の絵はがき

この流れはもちろん、絵はがきにも影響を与え、1898年にチノ(CINOS)より36種類の絵はがきが発売されます。この中にはロートレックやミュシャそしてシェレ、グラッセなど当時を代表する画家の有名な作品が採用され、有名なポスターをポストカードサイズに直した最初の絵はがき集です。

ロートレック「ムーラン・ルージュ」の絵はがき
「ムーラン・ルージュ」トゥールーズ・ロートレック 絵はがき 1898年 リボリアンティークス蔵

ロートレックの絵はがきは大変珍しく、この作品を含め2種類しかありません、もう一枚はトレクロ―名義の作品で他の出版社から販売されました。

ミュシャの作品は5種類あります、そのうち4種類がサラ・ベルナールの演劇のポスター「ジスモンダ」「椿姫」「ロレンザッチオ」「サマリアの女」でこの絵はがきはチノ社からしか発売されていません。

絵はがきは、ポスターの縮小版といっても、ただ縮小したわけではなく注意深く計算されて作成されたものです。サイズも縦横の比率も違う絵を、絵はがきに合うように画家が、配置を変え文字やデザインを変えて、絵はがきオリジナルの作品に仕上げており、絵はがきに貴重な価値を与えています。1900年頃になると絵はがきオリジナルの作品も多数登場するようになります。アール・ヌーヴォーのスローガンでもある「万人の中の芸術」「万人のための芸術」は、絵はがきを顕著に表しています。絵はがきがあらゆる階層の人々に最初に芸術をもたらしたとも言えるからです。絵はがきはその後、サイズも小さく収集しやすい面もありポスターの人気を凌ぐ勢いで、普及していきます。企業の広告も絵はがきを多用するようになり、絵はがきだけの展覧会なども当時から開催されます。絵はがきの人気を裏付ける一例として、ミュシャは、雑誌に掲載されていた時はモノクロの作品を、絵はがきではカラーと豪華にアレンジしています。ミュシャは、絵はがきの作製にも特に力をいれた人物です。

このように絵はがきの人気が高まると、次第に画面に占める絵の割合が大きくなっていくの必然的でした、このことは需要の高まりとそれに合わせ、法律が改正されていったことが大きく関係しています。

通信面における絵の割合の変遷
通信面における絵の割合の変遷

まず1870年代に民間で葉書を製作することができたときは、宛名面には宛先のみしか書くことができず裏の文書面に絵と私文が書かれました、これが時代とともに通信面の絵の割合が増え、宛名面にも私文を書くことが許可されると、通信面には全面に絵を刷りつけた作品が数多く誕生します。

このころになると、絵はがきはポスターの縮小だけではなく、芸術を発表する場として絵はがきオリジナルの作品が数多く増え、絵はがきの展覧会なども開催されるようになり、絵はがきはコレクションの要素も強めていきます。

絵はがき袋
絵はがきの袋 右はミュシャの作品 リボリアンティークス蔵

そしてまた企業も凝った広告の絵はがきを製作し、絵はがきの流行に貢献しました。

例えば、下の作品左のパテラの作品で、口から煙を吐く女性を描いていますが文字を書くスペースを考慮せず、一枚の絵として描いています。そして右の絵はシャルル・ナイヨの作品で、ムーラン・ルージュの広告になり、営業時間が書かれています。

左:パテラ 右:ムーラン・ルージュの広告

しかし、第一次大戦が終戦を迎えるとアール・ヌーヴォーは終焉し、時代がアール・デコに移っていくと、アール・ヌーヴォーは世間から嫌われ、アール・ヌーヴォーの作品は壊されたり捨てられたりしました。(アール・ヌーヴォーを代表するパリの有名なメトロの入口も一つを除きすべて壊されました)アール・ヌーヴォーを今に伝える絵はがき、その当時の文字や筆記体、切手や面に対する図柄の比率などポスターとは違った素晴らしさ、楽しみがあります。あまり絵はがきは展覧会でも展示されることはありませんが、目にする機会があったらぜひ楽しんでみてください。

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